旅をしてきました〜と言い出して10日経ってしまいました(汗)いい加減に2日目を書き出さないと・・・というわけで 2日目の朝は9時にホテルを出発です。ホテルの前でささっとKOMAを走行状態に、ホテルの場合だと部屋までKOMAを持ち込めるので(もちろん畳んで)安心でした。まず向かったのは大垣城です。駅前の商店街になっている大通りを南に向かって走行したんですが・・うっかり行き過ぎながら行きつ戻りつ、大垣公園を回り込んで9時20分頃到着でした。ぱっとみ然程大きな城郭でもないので15分もあれば・・・と思いつつふと時計(携帯の・・)をみると10時半。ついつい視聴覚コーナーの関ヶ原DVDにはまってまいました。慌てて城を後にして近鉄西大垣駅へと向かったのですが、、、、目の前を電車が走り去って行く・・・・。結局20分あまり駅でぼーっとすることになったんですが、ガイドブックを見ると松尾芭蕉「奥の細道」むすびの地・碑まで行ってこれそうなので行ってきました。往復約15分位でした。元は大垣城の外堀で水門川のほとりの木陰に銅像が建っていました。芭蕉翁は「蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ」の句を残して、この灯台の袂の大垣湊より水門川から揖斐川を経て伊勢へと旅立っていったそうです。と・・・いってもこれを知ったのは家に帰ってからの事でした(汗) 近鉄西大垣駅に帰ってくると、いいタイミングで桑名方面への電車の到着です。近鉄養老線は休日は全線でサイクルトレインと称した自転車の電車内持ち込みサービスをしていたので、畳まずにそのまま電車内へ。KOMAほど小さいと車内でも周囲への圧迫感を与えずにすむんですが・・かなり目立っちゃいました(笑) 電車に揺られる事20分程で養老駅に到着です。この養老駅もそうなんですが、養老線沿線の駅舎の多くは木造で昭和?もっとまえかな?時代を感じさせる風情がとても良い感じでした。いつまでも残して欲しい駅舎のある風景がここにあるとも感じました そんな駅舎をあとに、養老の瀧・・・じゃなくて・・滝へと向かいます。駅からはいきなりの上り坂。休み無しのひたすらの登り坂です。道中の半分は付近の遊園地や施設・駐車場へのアプローチをかねたそこそこ広い車道、坂の中程から滝への散策路となりさらに登り詰めて行くと石段まじりの簡易舗装のような急坂となります。滝への近道”ロープウェイ”乗り場の看板を越えるとハイキング道の雰囲気。ひたすら登ってゆくと滝音が聞こえてくると、ようやく滝を目にする事が出来ます。さらに登り詰めると滝壺の畔にたどり着きます。印象は意外と大きくなかったかな。滝壺の畔でみるより、一段下の眺望所で見る方が滝として迫力を感じました。 滝周辺で30分ほど写真を撮ったあとは、養老天命反転地へ向かったのですが・・。エントランスへ着くとなんと列を成しているので躊躇したのですが、並んでみると待つまでもなく中に入れました。軽く見て流そうと思い彷徨い始めるとこれが面白い。きっと好き嫌いはあるんでしょうが・・およそ水平や垂直を感じさせる構造物が無い空間。地平は傾いているし・・・。 でもデジカメ越しにこの空間を眺めると色々遊べてしまいついつい長居してしまい。ふと気がつくと2時半、これから関ヶ原まで移動して古戦場巡りをと思っていたので慌てて駅へ。 あわてて駅まで帰ってくると・・連絡が悪かった。暫く電車もないので駅舎内でレトロな雰囲気をプンプンさせている一角は食堂となっていたので、遅い昼飯を頂く事に。養老蕎麦という名前にひかれ頼んでみると、蕎麦も出汁も味的には間違っていないんだけど塩気多すぎです。 蕎麦も食べ終わり電車に乗り込む前に・・ここから暫くは電車がつづくのでKOMAは折り畳む事に。改札を通りふと横を見ると買い物チャリンコ子供補助椅子付きに子供MTB風チャリのお母ちゃんに子供二人連れ。遊園地・養老ランドにでも遊びにいっていたのでしょうかサイクルトレインで二駅程のって降りて行きましたが・・可哀想に観光客のカメラ攻めに逢っていました。お母ちゃんは平然としてましたが子供さんは不貞腐れてちょっと可哀想やった。物珍しいのは判るけどねぇ。 [うわぁ今日は10/27・・・月が変わるまでには書き終わるんだろうか〜〜〜] そんなこんなで大垣駅まで帰ってきて、コインロッカーに預けていた荷物も拾ってJRで関ヶ原へ移動です。大垣駅から3駅目、車内はそこそこ混み合っていたので立って移動です。関ヶ原駅に着いてみると駅にはコインロッカーは無し、コンビニも無し。客持ちのタクシーが数台。連休の最終日も午後3時を過ぎると観光目当ての降車客はいなさそうな気配でした。 とりあえず駅で貰った古戦場跡散策マップを頼りに、歴史民俗資料館へ向かいます。案内板を頼りにKOMAを走らせてゆくと、それらしい建物と徳川家康最後陣跡への案内板。まずは最後陣跡へ、ここは関ヶ原の合戦当時、最初桃配山に陣を布いていた徳川家康は一向に戦況が進捗しないのにイラ〜として御大将自ら石田三成が陣を布く笹尾山を真近に望むこの地に移ってきたのだとか。現代の地図でみても直線で800m位?まさに眼と鼻の先です。最後陣跡の石碑を見た後は歴史民俗資料館へ、此所はとてもアナログですが大型パネルと音声解説をつかって関ヶ原合戦時の各軍の進軍を状況を再現&実況してみたり、関ヶ原合戦に関連した特別展示もしていたり、こじんまりとはしていますが、これから関ヶ原を廻るには色々参考なりました。 民俗資料館を後にして次に向かったのは決戦地跡。まさに天下分け目の関ヶ原の最大の激戦地跡です。今は畑に囲まれた小高い塚が築かれ石碑がその地を示すだけです。ここから笹尾山まではKOMAでも数分はしったところ。丘の上に幟がはためいているのが遠目でも判るくらいです。遠目で丘に見えていたところは実際は笹尾山の麓の段丘、竹矢来が再現されていました。石田三成が指揮を執っていた陣跡は更に上に登ったところにあるのですが・・。麓の竹矢来のところで納得して島津義弘陣跡へ向かいました。 島津義弘陣跡へは散策用の道標が整備されているので迷わずに辿り着けたのですが・・。さすがにKOMAのような超小径車が辿ってくる等想定外。走りやすい舗装路から無情にもぬかるんでこそいないものの土を固めた様な道へ進むように道標は刺し指名しています。神社の横の細い道をKOMAを押して歩いてゆくと森の中に自然石で出来た陣跡碑が佇んでいました。その横をすり抜ける様に小西行長陣跡への道標があったので辿る事に。道は背の低い草のはえた畦道を広くした様な感じで押し歩きです。途中車道を横断して草の道は林の中へ消えて行きそうな感じで、車道の行く先を見ると駐車スペースとなにかありそうな感じだったので道標から離れて車道を進みました。駐車スペースを回り込むと開戦地の碑と小西行長陣跡への道標。歩いて見に行く事にこじんまりとした陣跡をみて開戦地の碑まで戻ってくると宇喜多秀家陣跡への道標があるので眼で辿ると小砂利の道がやっぱり林の方に続いています。さすがに男とはいえ日が傾きはじめている時刻。走れるのならともかくKOMAを押しては気味悪さも手伝って断念する事に。開戦地からは別の道標が舗装路を福島正則・不破関方面へ案内しているのでそれに従いました。途中JRを跨ぎ国道24号手前で急な下り坂で合流します。一瞬道標を見失いますが、国道24号の横断歩道を渡って集落の中に入って行くと直ぐに道標が現れたので、それに従い福島正則・不破関跡を巡って集落の中の旧中仙道から交通量の多い国道24号に合流してJR関ヶ原駅へと帰ってきました。時刻は17時少し前でした。関ヶ原から米原へ、連絡の悪さとKOMAがあるので新幹線で京都まで帰ってきました。 お約束の551蓬莱のおつまみAセットを購入して帰宅。考えてみると谷汲山周辺と養老・関ヶ原を切り離せば日帰りでもこれるやんとも思える近さなんですが・・・意外と時間足らなかったです。なんか近場で敢えて一泊してゆっくりと旅してくるのもオモロいなぁと思います。 とうとう11月ということで月跨いじゃいましたがこれで「10/8~9西美濃を旅してきました・・」も完結といたします。 10/8~9西美濃を旅してきました<文章を中心に1> 10/8~9西美濃を旅してきました<文章を中心に2> 10/8~9西美濃を旅してきました<写真を中心に>
by makiof
| 2006-10-18 23:37
| 旅の徒然なるを
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このブログの開設者は、InstagramやTwitter上で"makiof"名義のアカウントは有していません。"makiof"類似のアカウントを散見しますが、当ブログとは無関係の別人格のアカウントです。
excite blogにフリーページ機能が出来ましたので、プロフィールなどを置いて見ます。 *プロフィール *持病のこと (川崎病心臓血管後遺症) *今ひととき波間を漂いし・・* 東日本を襲った大震災のTV映像は津波が街や人々の暮らしを呑み込んでゆく様を流し続けていました。 そんな時ふと感じたこのブログ名・・この時期にこの名称は多方面において微妙かなとも思ったりした時もあったのですが・・ただ今までもこの名前で来たのだし続けさせて頂きたく思います。 でもちょっと言い訳がましいのですがブログ名の由来です。 ブログを開こうと思ったとき悩んだのは名前でした。そのころ脳裏をよぎったのが開高健氏の「漂えど沈まず」という言葉。 この言葉はフランス・パリ市の紋章に帆船の絵と共に刻まれている標語 ”FLVCTVAT NEC MERGITVR” ( Fluctuat nec mergitur) 揺ゆたえど沈まず タユタエドシズマズ パリの街がパリと呼ばれる前から語り継がれる古いラテン語の標語で、大海の波涛に翻弄されれる船のように長い歴史の中で幾度となく街の存亡の危機に瀕しながらも乗り越え、その中で語り継がれたのがFLVCTVAT NEC MERGITVRの言葉だったと聞きます。 「漂えど沈まず」は氏なりの言葉に代えたもので氏はある雑誌の読者投稿型コラムをまとめた本「風に訊け」の中で人生を渡ってゆくのその本質を鋭くついた言葉ではないかと紹介しておられました。 感銘を受けたその言葉を自分なりに言い換えて”今ひととき波間を漂いし・・”としてブログ名にさせてもらっています。 設定の都合により写真の一部が表示されていないものがあります。写真をクリックもしくはタップして頂くと全体が表示されます。 ”いまなみ”のもう一つのブログ"シルバークレイな日々by 銀捻堂”です。PMC純銀粘土で作成した作品の展示ブログとなっています。こちらも覗いてください。 ・twitter上に同一アカウント名の方がおられますが当方とは無関係です。 検索
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